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資源・社会公平・そして算力——Illichの速度制限論から

イヴァン・イリイチの『エネルギーと公平』から、資源が増えすぎると格差が広がるという逆説を紹介し、算力制限という発想までつなげて考えます。

エネルギーや交通と公平を連想させるイメージ

資源・社会公平・そして算力——Illichの速度制限論から

資源、社会公平と算力

面白い見方を一つ。「資源が多すぎると、社会の不公平が広がる」。全面的に同意するわけではありませんが、発想が独特です。

エネルギーや交通と公平を連想させるイメージ

オーストリアの哲学者イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)が1973年の『エネルギーと公平』(Energy and Equity)で述べた議論で、電力消費と公平が関係する、といいます。

「エネルギーと公平は、ある程度までしか同時に増えない。一人あたり電力がある閾値を下回るあいだは、電力増が公平を改善する。閾値を超えると、エネルギーの増加は公平を犠牲にする。」

皆が電気を使えるようになるのは公平に資する。しかし電気が「多すぎる」と、かえって不公平を強める、という意味です。

証明として、さらに奇妙な例——車が速すぎても不公平が強まる——を挙げます。

「車両速度がある限度を超えると、人と人の距離感が生まれる。全員のあいだの距離を広げ、少数のあいだの距離だけを縮める。」

「速度の向上は、不可避的に少数がより大きな馬力を持ち、大半の通勤者の時間的切迫感を強め、遅れている感覚を増す。」

速い移動手段を握れるのは少数で、速度が上がるほどその少数が先行する、という話です。時間の単位も細かくなり、日→時→分へと計測が細分化されます。

「世界のあちこちで、一部の車両が時速15マイル(約25km)を超えると、交通に関わる時間的切迫が強まり始めるようだ。」

時間の切迫は富裕層に有利に働きやすく、底辺にも人生の価値は上がるが、同時により疲れる、という見立てです。

だから彼の提案は、安全のためではなく、一部が先に行きすぎないよう速度を制限せよ、同じく電力も制限せよ、というものです。

要約すれば、資源が希少でなくなったあと、少数の手に渡り、格差を広げる道具になる——という理論です。

算力にも当てはめられます。普及初期は福利と公平を上げる。ある閾値を超えると、算力が多いほど少数の優位が強まり、不公平が広がる。そのとき政府は算力制限を設け、少数の過剰所有を防ぐべきだ——という延長です。

要するに資源配分の問題で、全員がアクセスできつつ、少数が取りすぎないようにする、という話です。正直に言えば私は少し悲観的で、経済効率を上げようとすると、平均配分は保証しにくい、と感じています。

これからどう見るか

算力がコモディティ化するほど、平均的な計算労働の価値は下がり、配分と優先順位の判断が希少になります。個人や一人会社は、無制限の算力競争に入るより、1000 True Fansに近い深い井戸で、信頼できる読者・顧客に向けた独自の洞察を売る方が現実的です。プラットフォームが注意を集約する世界でも、所有するオーディエンスと独立した判断こそが、AIに置き換えにくい資産になります。

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